作品となる「方針と原則」

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【テーマへの方針】

テーマとなる視点は、人が生きる社会に於いて、世の中の移り行くさまざまな起こりうる事柄の中で、見失われていこうとする人としての基本的な部分での発見からの問いかけです。

当たり前の渦巻く中で消えかかろうとしている大切な「生きる本質」へのところで価値を謳う事で考えるきっかけ生み、そこから感じてもらう事を目標に取り掛かっている活動です。


 【考えようとする原点、原則】

作品にかける思いはどこか使命感にも似た全身全霊の思いを向けている生涯の掲げる我がテーマでもあります。そうしたきっかけがやがて人々の思いにその機会が生まれて行くことへの希望に満ち、期待を持てる事へ喜びを感じるものです。自らを動かす原点がここにあります。

写真には広くも狭くも「人に伝える力」があります。 自分の思いとこの力が重なり合わさった時に一つの形となり動かすための「表現」となって発信への活動を引き起こすものです。

私においての原則とは自分が持っている環境からの与えられた出来る事です。前述にある【テーマへの方針】のように人の生きる行動の営みの中で気づいた不自然さと感じる疑問点に対してそこからの基本的な原点を探る事に終始一貫していることであります。   そうした人々の「落し物」は拾い、置いたままにしている「忘れ物」は届け、「ゴミ箱」に捨てられたものから捨ててはいけないものを確かめる事へのメッセージを発信する事が私が出来る事として、テーマを持つ存在理由なのです。




作家活動


環境写真家 則直泰 としての活動。


第一回目 写真メッセージ展覧会 「欲望」  開催

1992年に地球環境問題をテーマにした写真展「欲望」を発表し開催するに至りました。これは90年代に入って最も騒がれ皆が危機感を抱いた地球環境問題に、まったく別な観点からの視点で人々に投げかけるための問題を取り上げたもので、地球環境問題は汚染状況を伝えるばかりの世の中の風潮の中、その以前に忘れてはならない事に「人の欲望がそもそもの根源である」を主題に、更には「人も自然中の一つ!」を合わせて提唱したメッセージ写真展覧会を展開するものでした。

はじめの一回だけは個人の開催から始めましたが、2回目以降からはこの展覧会を引き継ぎたい方へリレー開催の形で各企業や団体、法人、役所などの公の皆様の手を経て長きに渡り開催をもって多くの人に見ていただくことができました。およそ1年間の開催期間を終える頃には、予想以上のきっかけを伝えられた事ではその役目が完了したと考えると共に次なるテーマへの思いを馳せ早々に終了させて移行致しました。

【写真メッセージ展覧会・「欲望」の後は地球環境問題からは離れ役目を終えて・・・】


なぜ終了したのか・・・ 「地球環境問題」では、これからの永遠のテーマとしてその後の継続がもっとも必要ですが、本来何事にも「人在りき」の観点からを優先に尊重されるべきを考える時、この問題で関わることとは究極な意味では「人間排除」へとどんどん視点思考につながりなりかねないと言う、ある種の関わった者にとって辿る“宿命”のような人の弱点があります。一つの方向だけを見つめ、一つのものへだけしか見えなくなると言う、「本末転倒」の人が陥りやすい弱さがあるからです。それは「ここまで地球を病んでこさせたのは誰か!」と言う責任追求だけを認め、やがては「地球にとって人は要らない…」が引き起こす、いわば周りが見えない1点だけの固執した狭い視点で及んでいくという傾向が在る事でしょう。この原点を見失う形で本質からを遠ざけ、その誤った考えのもとで一人歩きをすると言う、そこからしか見られない考え方への歪み始めた不快感から覚えるものであります。つまり“自然な感覚“から見て素直に思う危惧に於いては、それを感じた時点で速やかに辞退してみる勇気が問われ、この「人の弱さ」への強い意志が求められます。個人としての「出来る事」の方針からも専門家にお任せする部分とを分け、「深入りはしない」がここではとても肝要な事です。個人は個人の出来る役割までがちょうどいいところであります。それだけ人との影響力が関わる大きな問題と言えましょう。

「欲望」と銘を掲げたこの写真メッセージ展覧会では、人がこれからの考えるべき姿勢にその解決への一歩はどこがあるのかを提唱し、人間も自然界に必要あって存在している事を良くも悪くも認めた上でまずは大前提に強調しました。今のこの姿がある事自体が「そもそもの“自然”」なんだと自然界に生きる私たちの位置関係を基本的な原点に返った目線で唱う事が肝心です。この地球環境問題の「写真メッセージ展覧会」では、多くの共感を得る形で発信できた事を確認した上で終了するに至った訳であります。もはや私が「出来る事」からの私がすべき担う役目はこの時点で完結した事となります。



次なるテーマに向かって。

写真メッセージ展覧会開催してからの1年後の1993年には、次なるテーマへの計画案をすでに考え始めていました。「地球環境」に対し、次なるテーマは「人の環境」に関心の目を向ける事に移っていきます。「私たち」がこれからの対象です。


「人にとっての最もいい環境とは何か?」この問いかけからはじまる基本的な柱が出来て行きます。人間自身そのものを考える「いい環境」を見つめる事からはじまる訳ですが、そこには誰もが共通して関わられる題材が望ましくみんなが共有して考えられる事がとても大切でありました。果たして共通するものとはいったい何だろう?からはじまったのです。

これは単に持っていると言う「物証」を差した共有物を言うのでありません。また、そのための押しつけでもなく、都合に合わせて作り出すものでもありません。そこには無償な思いで損得が伴わない「好んで関わられる」もしくは「自ら関わろうとする、関わりたくなる、関わらなければならい」そんな心が動かす意味合いが強い「共有」であります。まずその中の一人として私自身が興味を持てるもので無くては共有どころか人に伝える事などできません。その事を前提に「人にいい環境」を示唆する時、無償な思いでの社会性ある世の貢献度の高いもので在りたい事です。

そんな思い描き始めたとき、ふと、自然と思い出すようにつながったあの時の「学校」の姿がありました。かつて仕事の移動中の山の中で出会った学校です。木造校舎の小さな学校。理由もなく心に入り込んでくるあの感覚の不思議さに十年以上も前の事がこの時に再び蘇りはじめたのです。それは「いつでも」と言う時を示さないままにずっと心に残っていたものです。その「学校」がこれから生涯にわたり長く続いていく大きなテーマとなってはじまって行く事になるのです。その関わりへの不思議な縁からを思う間もなく、実に必然的に用意されていたのかごとく全てが自然とその方向で流れて自分の中で通じ合い動かすものでした。 清水の舞台から飛び降りて…と言うほどの一大決心のもとで生涯関わる大きなテーマなんだ!と、構えて始めるような大げさなものではなく、実にそれに関わって行くためのテーマとしては自然に掲げてはじめられる適切なテーマだったとその時に始める思いだったと記憶しています。 あとはもう時間の問題だったと言う事でしょう。


日本の義務教育はほぼ100パーセントの就学率と言われています。 別な意味合いからではここが日本の教育の素晴らしいところと言えるでしょう。  過去、現在、未来と日本人の誰もが共通して関わりのある「学校」。その事がみんなの共有できるテーマとしていち早くそこに注目したのは言うまでもありません。

しかしながら、それだけでは上記で述べていた「物証」での共有でしかないのです。テーマになれる価値にはそこに「命」が存在していることです。こうして始まった「学校」のテーマは、自分自身があの山の中で出会った学校での「理由もなく心に入り込んでくるあの感覚の不思議さ」の意味にすべての答えがそこに存在していた事になるのです。それは生涯続いて行く事になる価値としての原点となる「命」があり、まさにその「命」こそが心に無償な思いでさせる「自ら関わろうとする、関わりたくなる、関わらなければならい」そんな心が動かす「共有」、つまり「共有心」だったのです。

「学校」をテーマとするにあたり皆が共有して確信を持てた事とは、社会にとっての「これからの大切な価値」がある事でありました。生涯のテーマとしてこれから歩いていくわけですが、そのすべての根底に流れ、支え続けるものはあの時の山の中で出会った小さな学校からの思いがキーワードとなって生き続けている事です。


これから生涯に渡って続けていく永遠のテーマの誕生へ。

人にとって最もいい環境を考える…基本的なテーマの根底に支える発信への原点












     おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!









「学校」はこどもたちの殿堂であります。その地域のこどもたちに会おうと思うとき「学校」に行けばいいんだ!…と。そうです!「学校」に行けば会えるのです。_____当たり前のようだけど、どこへ行ってもその場所の子供たちに会おうと思うと目の前には直ぐにいません。ましてや、その地域のみんなと会おうものなら学校が無いと誰とも会うことができないんですね。これって考えると今まで意識することもなく気づかないままのとても不思議なことなんだと感じました。つまり子供たちに会いたいときは「学校」が唯一のつないでくれる場所。「学校」が無いとこどもが存在しない、こどもが居なくなると「学校」も“居なくなる“・・・こんな関係が分かりやすくあるんです。だから「学校」はこどもたちの居場所です。そしてこどもの存在を象徴する「殿堂」だと思います。その地域の形を象徴しています。


「学校」は地域の中心を担う要的存在でもあります。そうした「学校」は地域にとってとても大切に思い、無くてはならない「コミュニティー」の柱です。ある意味、地域の命を預かっている…なんて言うととても大げさに聞こえるのかもしれませんね。でも、大げさではないんですよ。結構要の部分を担っているんです。

「学校を大切に思う」…は、この地域にある限り「必然の思い」と言う方が素直に入る言葉かもしれません。 この形は個々それぞれに地域が違えど、その思う気持ちは全国どこへ行っても見事な形で同じにありました。それはどこの地域も自分の学校を誇りに思い、そういう背景に育つこどもたちは自分の学校が大好きです。そんな地域の大切な学校はまさに申し合わせたように同じく競うように我が学校が一番だと誇りに思っています。それが「おらが学校」の言葉に置かれて集約されています。これこそが本来人がそこに存在する限り地域として変わらぬ普遍の思いなのです。


「おらが学校の」


「おらが学校」の成り立つ背景には、間違っても目に見える「形」の物の存在を指す事はありません。その成り立ちを映し出す根底にある部分での「存在する意味」に確かなものとしてあります。言うまでもなくそれはであり、そのである中で未来へとつながる「こども」への確かな大きな存在がありました。未来の礎、まさに地域の宝であります「こども」の存在以外他はありません。すべての物事が生まれてそしてはじまる原点がここにあるからです。  

言葉を言い換えれば、「こどもが居てこそ」から始まるすべての思い、すべての解決、すべての未来があります。 健全に育む社会においても「こども」の存在は大きく大事なものですね。  その「こども」が居る「学校」は、大切な地域の宝であるこどもたちの成長を育む場所です。「おらが学校」とは、子供たちが生きる殿堂の象徴としてある姿です。親と共に地域が一体となってみんなで支えあうのも「こども」は私たちの宝である事の所以であります。



「おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!」


そんな「おらが学校」が全国どこでも同じ思いの中で個々に存在しているわけであります。その全部の集合体こそがわが日本の大切な「こどもたち」であり、日本の未来を担う「こどもたち」であります。  「学校」はそれらのこどもたちを健全に育くむ事への役目を担い、この「学校」もまた家庭や地域と共に未来へのこどもたちを創り出しています。 

こどもたちの殿堂の「おらが学校」。そこへ行ってこどもたちに出会う事とは、そのすべての思いとの結晶がつくられている出会いでもあります。_________「おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!」。…ここへおいでよ~とは、みなさんが学校に行くことではありません。わたしたちが大切にして行きたい基本的な原点への出会い、回帰であります。そこからまた新たな一歩を見つけられることがこの言葉の深くのところにメッセージがあるのです。


作者である私は、今あらためてここの凄さを感じ興味が注がれる部分であります。希望と夢を描きながらのこの活動への原形となって力が支えられ、そこから生まれるエネルギーなるものは「伝える事」の使命感に置き換えられる原点にほかならない責務へと私を掻き立てるのです。それは「未来への思い」に対して限りない期待に満ちて終わらない力となってすべての原動力を生み出します。それらはテーマでの主軸となって体の全部に染み渡らせながら一つ一つの「学校」へ向わせます。      

そこにいる「こどもたち」に会う事がこのテーマの原点のはじまりです。その形から人々へ伝える意味と力の強さがあると確信しています。



【主役はこどもたち】~こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい…~


こどもたちの殿堂の「学校」。そこには「おらが学校」の存在がある。「学校」には未来の礎となる「こども」がいて、未来を担うみんなの宝物である共有の思いの大切な「こどもたち」。「学校」は、その「こどもたち」の成長を育む大事な役目があります。こうした流れの中で、こどもたちに出会う活動は、未来に向けての発信源をもらうことであります。その行方には、まぎれもなく「良き日本の姿」をつくりたい事は言うまでもありません。その「未来」を考えるとき、その位置から見下ろすと「こども」の存在が確かによく見え始めてきます。つまり、「こどもを無くしては未来が無い」とも言える根幹の部分に触れるもっとも単純で明確、しかも純粋な答えです。逆に、「次なるテーマへむかって」の冒頭でも申し上げたあの山の中で出会った「木造校舎の小さな学校」での思いで、何とも言えない不思議な感覚になった事での私自身の一連に起こる関連に於いては、その答えとなる「おらが学校」の精神が宿る思いへの心の騒ぎと、その行方に置かれているのはまさしく「こども」の姿がそこにあることで、原形の位置から見るものに同じく「未来を担うこども」の姿がどちらの方向からもここにはあった事をより印象付けるものでありました。



【活動】

およそ3年半くらいの日時をかけて近隣の学校通いをしながら、その思いを形に表現するために試行錯誤時間を要しました。1996年10月20日 記念すべき第1校目がスタートを切るに至ったことでは、たくさんの遊び時間を通してようやくここに辿り着いたものでありました。「学校」を訪問して、そのこどもたちに会う。「おらが学校」の思いにふさわしい一つ一つ出会いを重ねていく「“旅”」のはじまりです。その名も「木造校舎をもつ学校」としてまずは全国から選ぶにあたりメインではじめられるものでした。1998年10月15日、合わせて 「私たちの学校」の第1校目がスタート。木造校舎以外の学校を対象とした事で、両者が合わせて共存する形で通常の「おらが学校の…」と言うテーマの骨格となる組立が確実となっていきます。以後20年近くがこのあと両者が続いていくわけですが(現在も進行中で今後も継続する終わりなきテーマ)2011年11月に、作品上の本テーマを「おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!」へ統一。このことで学校訪問の計画における個々の区分け意識が取れ、地理の全体的な方向での一つの視点で見る事により一気にその底辺が広がりました。その事で自由な各所における個々それぞれの「おらが学校」の思いに触れる機会が増え、おのずとそこで暮らす子供たちに会うための機会が格段に上がった事です。その分だけの、メッセージ展開への濃さ、色合いがますます膨らんできたことがあげられます。


2013年1月 長年の積み重ねによる訪問記録で預かってきたこどもたちからのメッセージを届けるために、写真メッセージ展覧会への構想をいよいよ考え始める。そのため学校訪問との同時進行がこれからの活動への形となって来るわけですが、2014年5月、具体的に写真メッセージ展覧会として動かせるよう各所へのお伺いと情報集め、開催地への検証を始めました。2015年4月より、本年度に具体化へ活動始め近いうちに今までその瞬間を待ち望んできた「全国からのこどもたちのメッセージ」を届けるための展覧会を進める活動もしております。これからが訪問活動での子供たちとの出会う事と、それを届けるための発信への活動を同時に行うための時間に入って来た事になりました。今後はこの訪問活動による子供たちとの出会いを続けながら、ようやく人々へ向けての発信の方も同時進行で始めるに至りました。 今後ますますの出会いと発信の方を続けてまいります。





【もうひとつのあらたな期待へ】

作品の対象では「おらが学校」の事で全国の小学校、中学校の「こどもたち」と会う事を中心に進めてまいるものでありますが、その主となる「こども」に視点を置かれている事から、今あらためてさらなる思いに「小さなこども」もその対象としてはじめられました。 「未来に向けて」を思いに描いた時に登場して欲しい可愛らしい姿に注目。まさにこどもの原形なるその存在そのものの姿や形にも目線は注がれそこから発する限りない力への期待をするところであります。


新しい作品が加わります。【ようこそにっぽんへ!】その名にあるものは…

オリンピックが日本に決まり、東京オリンピックとして50年の歳月を経てふたたび…をこの度確実となりました。その知らせを聞いてイメージするものとは、「おらが学校」の思いと同様に、未来を担う「こども」の存在がより一層の意識を高めていく機会が到来したと感じました。それは、まず意識を向けてしっかりと考えることでの行方として、これからの日本の将来への姿の期待を示す活動であります。今までが私たち自身に呼びかけ贈るものとして考えてきたものでありますが、同時に日本を訪れる世界の方にも「こども」の姿にある限りない尊い価値を感じていただき、日本に来た印象として届けたいからであります。オリンピックが決まる事により、日本に来日される海外の”お客様”がますます増え続けてきます。合わせて国の政策でもあります「観光立国」を唄っている事でもその対象は私たち日本人のみならず海外の方も含めて日本の目指す未来への形を届けていくものと考えます。その事で日本に来た証である微笑ましい「こども」の姿でお出向かいする事では、印象深く心に残り、未来の担い手である我が国の代表となってこどもたちからの「歓迎へのメッセージ」として「おもてなし」を届けたい思いから生まれます。その名も「OMOTENASHI」として、「ようこそにっぽんへ!」のサブテーマとして掲げて歓迎し、微笑ましい贈り物を届けることであります。すでに2013年の秋から構想がはじまり。国内はもとより、海外の人にも見ていただくことで、やがては「こども」への意識向上へと世界に向けてのアピールの形で発展して行きたい事もこのテーマが持つ大きな魅力的な思いである事も付け加えておきます。 

今や海外の人も日本中にどこでもいらっしゃる時を迎えました。 作者は、こどもへの意識が高まれば高まるほど、その行き先には争いではなく、目指そうとする基準こそがこどもを尊重とするひとつの世界の「平和と幸福」へと向けてくれるものと信じています。

2014年4月4日、その試験的に試みた初の「小さなこどもたち」の姿を記録し、第1号としていよいよ始まりました。「ようこそ日本へ」の思いを込めた微笑ましいこどもたちからの贈りものであります。「おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!」のこどもたちと共に大きく届けて行く贈り物です。今後の活動と展開にご期待下さい。





【作品】~こどもをまっすぐ意識する事からはじまる未来の存在~



全国のこどもたち“一万の瞳”の贈り物です。



作品はすべての表現体となってみなさんとの出会いです。 私が積み重ねてきた全てを形にし、その主体となるテーマでの主役、すなわち「こどもたち」からのかけがえのない”一万の瞳”からのメッセージに触れられる事で、これからを思う未来への大切な価値観への一歩がはじまると願って止みません。



こどもを意識する事は、これからを考えるすべての原点になり、確かな未来を思う時、

必ずやそこにはこどもの存在は外せません。私たちが生物としての本当のそもそもの原点である事さえ忘れなければ

必ず未来へと続く希望がそこにあるはずです





~本テーマは将来、日本のみらいを創造させる事では、内閣府、総務省および東京都へ活動報告を致しております~

また、トップページにご案内しましたように、本テーマは文部科学省から未来に向けて認められる活動として、

今後の活動においての力となって後押しなどをいただける「協力体制」をいただくこととなりました。







本テーマの作品は、インターネットでの掲載を致しておりません。
よってこのホームページ内でもご覧にはなれませんのでご了承ください。

作品は展覧会用(写真集含む)のみの発信用ですので発表の際にご覧下さい。


ただし、イメージとなるものや、個人の顔が特定できないもの、及びすでに新聞やネット上で当事者がご納得してすでに公に出場しているものについてはこの限りのものではありません。