プロフィール

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Yasushi Norinao

●作家活動から見る自己紹介とその経緯

トップページの学校:北海道稚内市立稚内西中学校「利尻富士が見える学校」



則直泰(ノリナオ ヤスシ)。

1956年東京生まれ。
フリーの写真撮影で、29歳の時「則直泰写真事務所」を設立。
以来、商業写真、雑誌などを手がけて現在に至る。


日々のこれらの業務である通常の仕事の傍ら、ライフワークとしてのテーマを掲げた活動を手がける。

1992年7月 地球環境問題をテーマにした写真展「欲望」を発表し開催。
「人の欲望がそもそもの根源である」を主題に、「人も自然中の一つ!」を合わせて提唱したメッセージ写真展を展開。
2回目以降からはこの展覧会を引き継ぎたい方へリレー開催の形で各企業や団体、法人などの公の皆様の手を経て長きに渡り開催。
その主な主催者。
●トヨタ自動車東京本社広報部社会文化グループ 
●日産自動車座間工場総務部地域サービス「座間アプリーテ」 
●現イオン系(旧サティー)文化事業部~関東エリア各店舗文化施設においてのリレー開催 
●東京都環境局「環境展」へ招待出品 
●‘92EXPO「花と緑の博覧会」(「欲望」写真展専用の八角2階建てログハウス一棟全部貸し切りのブース)グリーンウエーブ神奈川県/相模原会場
●日本大学生産資源科学部大学祭「地球環境問題」展招待出品

おおよそ1年間のこれらの開催を経て、地球環境問題に関する自分との関わりは、すでに考え思い描くところでの「自分が出来る事」としての自分がするべき担う役目は完結したと判断し、速やかにこの位置からの転換をはかることにしました。


1993年には、次なるテーマへの計画案を考え始める。

今までが「地球環境」であるなら次には「人の環境」への問いかけに方向転換。「人にとっての最もいい環境とは何か?」を掲げ、誰でも通い通った「学校」に注目。以来そのテーマを掲げ1000校を目指せ!を活動のスローガンとし全国を歩くようになる。

1996年10月20日 記念すべき第1校目がスタートする。その名も「木造校舎をもつ学校」としてメインではじめられて行く。

1998年10月15日 「私たちの学校」の第1校目がスタート。木造校舎以外の学校を対象。

2011年11月 テーマを「おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!」へ統一。
今までの「木造校舎をもつ学校」及び「私たちの学校」をカテゴリーにて分別して来たが、時代の要請と世の中の変化とともにその目指す所の目的が一緒であり、そもそもがそこで暮らす「こども」が中心とする主役である事で同じカテゴリーとして捉え、これらの原点の総称として「おらが学校の…!おいでよ~ここへ!!」に統一する。これにより公表の学校訪問数は両方を合わせた数を常に表示する。事務的な便宜上、個々には分けての作品番号は進む。

2013年1月 長年の積み重ねによる訪問記録で預かってきたこどもたちからのメッセージを届けるために、写真メッセージ展への構想を考え始める。そのため学校訪問との同時進行がこれからの活動への形となる。

2013年12月 この年秋、日本がオリンピック招致場所となり「東京オリンピック」開催が決まる。この事で現テーマである「こども」を主体とするすべての表現体である事で、国内だけでなく海外の人にも見て伝えたいためのメッセージを考える。あらためてそれに加える形で新しいテーマ「ようこそにっぽんへ!」への構想が生まれる。 

2014年4月  「ようこそにっぽんへ!」の第1号となる記録への訪問を開始。

5月 具体的に写真メッセージ展覧会として動かせるよう、各所へのお伺いと情報集め、開催地への検証を始める。

2015年4月 本年度に具体化へ活動始める。

9/10月 日本のてっぺん、最北の島。北海道の礼文・利尻島のこどもたちに会うプロジェクトのもとほぼ2ヶ月間の活動に入る。

11月以降、いよいよ20年間の活動の発信に向けて具体的に動き始める。各方面へのテーマ発信に向けて声を掛ける活動に入る。

12月 礼文島礼文町からの「こどもはみらい!」について開催に向けた「企画書」を提出要請をいただき提出する。 同じく利尻島の「利尻富士町・利尻町」をまたぐ活動の「NPO法人利尻ふる里・島づくりセンター」へ企画書提案にて提出。

2016年1月 文部科学省、義家弘介副大臣との会談へ。「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」のテーマの重要性を理解していただき、今後において文部科学省として展開活動に協力体制をいただく事となる。

同月 北海道礼文町 産業課観光において「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」のテーマの企画が決定。

6月1日 28年度の町の主催としてシーズン中(6月1日から10月31日の期間)「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」を提唱する「“一万の瞳”メッセージ展覧会2016」が開催。 “にっぽんのてっぺんから”の発信として多くの来島する多くの国内及び海外の方に向けた観光客に向けて発信へ。その名も「ようこそ礼文、ようこそにっぽんへ!」をタイトルに歓迎へのイベントを通して日本、そして世界に向けて「こどもはみらい!」の子供の大切さを届ける発信。

2017年5月1日 昨年度に引き続き、礼文町にて29年度(5月1日から10月31日の期間)「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」を提唱する「“一万の瞳”メッセージ展覧会2017」が開催。 “にっぽんのてっぺんから”の発信として多くの来島する多くの国内及び海外の方に向けた観光客に向けて本年度も発信へ。

6月 「こどもはみらい!」を象徴する本作品の映像から、正式に町の「礼文島観光ポスター」として決まり、観光ポスターとなって子供の存在を意識づける形で全国展開となりました。 B1縦位置ポスター。 あわせてポストカード。

9月 小豆島の苗羽小学校で「LIXIL」との共同制作でタイル焼き付けによる「二十四の瞳」への思いを形につくりものとして制作される作品で、このほど今テーマで作品化した映像「“平成のニ十四の瞳”」からタイル焼きに加えられました。

2017年11月現在にて。

履歴書=その生い立ちから。

1956年東京目黒区に生まれる。

東京都目黒区立不動小学校

東京都目黒区立第四中学校

1971年より神奈川県川崎市高津区へ。

日本大学高等学校「横浜学園」日吉校舎

1979年3月桜美林大学経済学部商学科卒

この時、神奈川県相模原市に移る。

1979年 フォトライブラリーに入社。1983年健康食品会社に入社を経て、

1986年独立し「則直泰写真事務所」を設立。

商業写真、工業写真、建築写真などの撮影部門と旅もの関連の雑誌取材を受ける業務を担当。

1991年 本業と共にライフワークとしての写真家活動に携わる。

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現在、環境写真家の名のもと、活動家として「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」のテーマを掲げ、子供への意識向上による明るい未来を提唱する活動に専念。