~北の果てのこどもたちに会う~ 礼文島での報告編  「活動の流れ」②

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稚内に居る時に、礼文島での過ごし方にどのような形でほぼ半月ほどの日程を仮設定してイメージしてみる事を常に思い浮かべておりました。

そもそも、礼文島、利尻島へ渡る計画が具体的になった7月の初旬の段階で、私が関わって来ていた書籍雑誌の「島へ。」の元編集長の森田さんにメールをしたことから、知り合い関係を紹介していただけたことで情報への不安からの安心へと始まったものです。

利尻島の役場のお勤めの熊谷さんを紹介していただき、まずは礼文島の事では人との関係では皆無だったことで、熊谷さんに礼文島の役場の主になる方をご紹介していただいた。

さっそくその方に連絡をし、礼文島での滞在をお知らせをしながら、渡航の際にはさっそくお会いする事で稚内からの事前連絡が整った。

 

夏休み前には、各学校に向けてのテーマ作品による主旨文と学校訪問への是非を伺います書面への発送をさせていただいており、受け入れの了解の上で次なるお話の前提のもと、作品上必要となる子供たちとの出会える記録時間で、全校児童生徒が集まっての記録へのお約束を後日の連絡で取る事になるまで来ておりました。

写真記録では、おおよそ10分から15分を見込んでおり、全員が並んでメッセージを贈っている形の揃っての発信でありますので、こうしてずっと以前からのお約束が取れる形にて書面をお届けする事は絶対条件の必須であります。書面はそのためにあるものだからです。

よく記録では、「校舎だけですか?」とか「こどもたちが遊んでいる姿ですか?」と勘違いされる事がありますが、全員が集合しての並ぶ体型がテーマでの主の構成なので、こうしてあらかじめ文書でのお知らせが不可欠な訳です。

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礼文島の新しい代表の観光スポット。 学校のイメージでもあります分校が人気。映画「北のカナリアたち」のロケ地です。

 

夏休み中の8月入って、書面の到着と開封してでの確認をお尋ねする電話をかけまして、まずは訪問への是非を伺うことからはじまります。

たまたま、ほとんどの皆さん(校長先生)がお盆前まで夏休みを取られていらっしゃったことで、次に出勤されます日を受けた先生より伺いまして、その日以降に再度連絡をいたし、ほぼ90%近くの了解が各学校より頂いた事で、礼文島、利尻島への計画が一気に具体的となりました。

私からの主旨文からの話しではなかなかご理解をいただけるための了解がうまく取れない学校につきましては、電話口での即決を問うものでは無く、検討していただく事を引き続き継続してお願いをさせていただき、実際に島へ渡る事が確定できている事から、渡航以後にこの書面では無く実際に顔を出し、更にお話しを面と向かい合わせての事での訪問にて、一度ご挨拶のもとで検討中の件をあらためて伺う事で保留にして行く事にしたものです。

これにて、すべての学校へのかかわりについては現地であらためて校長先生とのお初の面識をさせていただきご挨拶後に、実際の約束日に記録する事が可能となります。

 

礼文島では、9月3日に渡り4日の朝にご紹介いただきました産業課観光主幹の川村さんとお会いしました。

すでに、4日には教育長との面談を希望していた事で朝の9時に設定をさせていただいてました。

教育委員会へ移動し、まず次長の須田様とお会いし、ご一緒に教育長室へ。 教育長の岩城様との面談では、かなりのお時間をいただきまして、このテーマでの「こどもはみらい」における島の各学校訪問での子供たちとの出会うための記録写真には、思いのほか興味と関心をいただきました。  その思いの中には少しでも島のためになれるものならばの、島を思う気持ちがこめられまして、記録へのこれからの期待を頂戴する事が出来ました。

日頃より子供たちへの教育に関する事や、この島の子供達と島の発展への思いを重ねたお話もしていただきました。教育長として本当にふさわしい大変素晴らしい岩城様で感動しました。

私もその思いを胸にこれから始まろうとする島内の子供達との出会いでの今テーマ記録の上では、大きな役目を感じつつの新たな気持ちで向かう事になりました。

そう考えれば考えるほど、あとはすごく意味が伝えられるだけの記録への思いです。そのための天候への配慮とその天候からの作るとするイメージへの重要な関わりが要となって来ます。

 

 

礼文島では、どこの学校においても晴れ間のある天候勝負となります。これが作者にとっては一番厳しい。学校の約束日に必ずしも期待する晴れ間とはならない事が付きまとうからです。それはそのまま学校の皆さんにとっても予定変更のまた変更では厳しさを強いる事になるからです。 また、いつ終わるかわからないのも滞在期間への限度も考えなくてはなりません。

一応には、滞在期間のお尻は決めずの渡航できましたがあくまでもそれは私自身のサイドの事で、学校にはかなりの気遣いは絶対的な必須条件です。 決めた日に終えられる事が最もベストであります。 私が胃が痛くなるというのはこう言う思いに立たされる時であります。何とか無理がないままでそれぞれが終えて欲しいの一念です。

 

 

 

教育長との午前中の会談のあと、午前中の後半から午後にかけては、いよいよお初の対面となります校長先生との会うための挨拶回りを今日は1日島内を回らさせていただくことにしました。

教育委員会が島の南側の起点であることで、学校はこの場所から北へと進むことになります。

まず、最初の香深地区から礼文小学校(今野校長先生)、香深中学校(関谷校長先生)とお会いし、次なる場所の小学校へ。 こちらでは冒頭で申し上げてました検討中をお願いしていた学校で、島に渡って来た時にあらためてお尋ねをさせて頂く事で保留にしておりましたところです。

実際にお会いしまして(うっかり検討中のままの状況下である学校だった事を忘れてしまい通常の了解いただけている学校と同じようなご挨拶となってしまい失礼いたしました=再度重ねてお詫びいたします)、校長室に於いていろいろと校長先生の理解が未だに得られない事をあらためて伝えられれました。 その事では、私のこうした活動自身の話しはご理解はあるものの、具体的に「写真展覧会」の日程とどこで開催する事となっているのかを問われまして、それがまず分からない事が難しさを感じていらっしゃいました。  確かに私自身に於いてはまだ決まっていない事がありまして、近いうちにはそれを叶えたいとの思いはお伝えさせていただいたもののそこが厳しい要となっている事が校長先生の思いの中にありました。

「子供たちにこの度の記録をした事での結果としてのいわゆる教育活動としての意味で、なんて説明して良いのかが得られない」・・・なるほど、その事が今回の保留にせざるをえない見えてない事だった事がはじめてお会いすることで分かるものでした。

私は、率直に感じたのは、子供の事を一番に考えているんだな~と思いました。もちろん、他の学校の校長先生はそうでないという意味では全くないので誤解はしないでください。 つまり、そういう方向でのこどもへの配慮がある事をあらためて感じ取るものでありました。 それはまた一つの形として尊重したい思いでありました。あとは、今ここで私が出来る事とは、その具体的にどう子供たちに結果を伝えていくことが一つの教育への一環としてこのテーマが生きて来るのかを他の解釈で校長先生に訴える事しかないのです。 肝心なのは、具体的に写真展覧会は決まってないわけですから・・・他の意味での結果を示せるものをちゃんと用意できるかどうかだと判断しました。 その上では、後に必ず学校へ記録した写真をお送りしていることでは、きっと子供たちにあの時に撮ったものはこうなって映ったんだよ~と示すのも一つの形にはならないだろうか?!。また、一方では写真を職業としている身の人が世の中で仕事をしていて、そう言う人がやってきて子供たちの前で見てもらうことも教育にはならないだろうか?と、おこがましい話ですがそう言う提案もさせていただきました。

しかしながら、校長先生の心を動かすだけの私からの話しには至らず乏しかったようでそこからは進められるものではなかったのがこの度の実際でした。

こちらの学校では今年は研究校の対象となっていることで、今月の18日にはその発表を迎える事では、他の学校とはまた別に超多忙な中でのお尋ねだった事も理解し、そもそも気遣う意味が向けていた事でも私から話しをさせていただきました。 でも、校長先生は、「せいぜい9人の子供を出すくらいは別に大変な事ではなくそれは気にしないでいいと思いますよ」と言ってはくださいました。要は、こどもへの記録における配慮の結果を示せるかどうかの問題なのです。そこはとうとう私の至るまでの力はなかったのがまずは結果でした。

さすがにそれ以上の話は時間を余計に強いるだけなので、あとはこの島に居る期間中に、せめて今一度、今日のお話を汲めるところがありましたらぜひお考えくださいましてと言葉を残し、学校を後にする事にしました。

校長先生も何とか「これまで!」との断りまではいかずの維持をしてくださっての好意は頂いたものの、一週間以上経ってから今一度お尋ねをしますとの事を残して時間を置くことしかあとは可能性は無いものではありました。

私としては、島内の学校は一つ残さずに記録できたらいいな~と頭をかすめる思いはこの時には正直すでに生まれつつありました。 それは、参加校が募れば募るほど気持ち上には島内の全部の学校を完結させたい思いは生まれてくるものはどうしてもあります。

その場を離れて移動する車の中では、「やはり厳しいのかな~」が胸に抱えての次なる挨拶への学校へと向かうものでした。

 

実は、この事では後に一つの大きな問題が発生となる起因が結果としてここからはじまるものであります。

この事ではきちっと取り上げなくてはならない私の行動から困難を来す大事なトラブルとも言えるので、今回のこうしたテーマでの学校訪問の一環では、今後の事を考えると重要な要件でもあり、再発しないためにも自己の確認と事実の起こった実態の報告は不可欠と判断します。 特に今回の公募を合わせてのプロジェクトにおいての活動での事柄では、公的活動でもある事から公表する意味でも、この件については別枠としてご報告しなければならないと思います。後ほどあえて取り上げさせていただいて次に活かす事を考えます。

 (注)後にこの件では、報告上好意的な対象の話題とは通じてはない事で、この箇所のみについては余計なご迷惑をかけぬよう細心の注意から個人を守る意味でも学校名と実名はあえて控えさせていただいています。みなさまのご理解をお願いいたします。
さて、午後の訪問校では、更に北へ進み、船泊小学校(坂本校長先生)、神崎小学校(石澤校長先生)、そして船泊中学校(岸田校長先生)とお会いをしまして今日のご挨拶は無事に終える事が一先ず出来ました。

 

あとは、実際の記録に専念して行く日々を過ごす事となりました。

 

次のページへつづきます。

 

 

 

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