利尻島オタドマリ沼での「こどもはみらい!」イメージ映像そして敬老会

このエントリーをはてなブックマークに追加
宗谷地域_OSD2512s10月7日(水)オタドマリ沼にて~この直後「こどもがたいせつ・・・こどもが宝・・・こどもはみらい!」のイメージ記録へと進んだ。

予定していたすべての学校および保育所のこどもたちとのテーマによる訪問記録は無事に終え、10月の7日以降は12日の稚内への船で渡る日までは私の自由時間となった。

週明けの5日より晴れ続きが珍しくある事で7日は実質記録への方法もなくなったのであるが、一つ頭の中で抱えていた案件があり、「こどもがたいせつ・・・こどもが宝・・・こどもはみらい!」のテーマであるイメージフォトが欲しく各保育所にその思いを伝えていた事がありました。ただ、この時期文化祭となる秋の行事の中では、保育園は「お遊戯会」への練習で忙しく動かれていることで、個々の保育所ではいつもの記録は叶うものの、イメージとする保育所合同によるある場所に於いての出張での記録はなかなか厳しい所があり、見送る形で2町4保育所ある中で今回はしないと言う事でおさまっていました。 いわゆる最後の晴れ間の日としての私が滞在する上での事では、今日の1日が何かに役立てる日として出来ないかを考えた時に利尻富士町になるのですが、朝の段階で保育所を管理しています福祉課の工藤様に直接話に伺い、「鬼脇保育所においては行事が済んでいる事で鬼脇だけでも今日の日にイメージ記録が出来たらと考えていますがいかがでしょうか?」と尋ねたところ、工藤様がぜひやりましょうの一声でいっきに動く始める事となった予期もしない速さで進む事になったのです。

 

【オタドマリ沼】

役場よりバスを出して工藤様自ら運転して鬼脇まで25分の道のりを移動し始めました。 保育所には事前に午前中オタドマリ沼でこどもたち移動させて記録写真を撮る事を伝えていただき、まずは鬼脇の保育所から2キロほど離れたオタドマリ沼を目指して現地に向かいました。 とても晴れ渡っているのだけれども、肝心の利尻富士の山のてっぺんにずっと雲がかかったままで進む道筋で気にしながらものです。 いつも反対側に近くなると雲がなかったりもするので期待も半分しながらの行程でしたが、なかなか取れる様子がないままを右に見ながらオタドマリ沼に到着。双方の車を止めて山をあらためて見上げてみる顔にはくもらせる表情ばかりでまったくどいて行く様子もない。 「困ったな~」が言葉を交わさずともお互いにわかる言葉だった。 茶店の方も工藤様の姿を見つけて挨拶に来られ、事情を話すと気の毒な思いをかけてくださり、結局はここを離れ保育所へ一旦移動へ。「今日は難しい」と告げ、とりあえず近くの利尻資料館は建物としてすばらしいかつての鬼脇役場の建物があり、そこでこどもたちを撮る事を提案。すぐさま移動し記録へと進んだ。 工藤様はここで役場に戻るのだけれども昼過ぎに議会が30分あり、その後はまた鬼脇に3時には明日の敬老会の準備に来る用事があるとのことで、万が一に午後から利尻富士が頭を出していたら可能ですか?と尋ねると、「敬老会の準備もあるけれどそのための記録での時間で使う事は大丈夫ですよ」とおっしゃっていただけたことで、午後へ期待を移す事となった訳です。

 

お昼の12時過ぎ、その頃からどんどん頭の雲が取れ始めてくるではありませんか。 もしその時には工藤様の携帯電話へ連絡を入れる事となっていたため、30分さらに様子を見て確認後、今日は完全に大丈夫そうだと言える事となって来たので「行けそうです」とお伝えさせていただきました。 2時過ぎにはオタドマリ沼へこどもを乗せて来るとの連絡があり、私はその時間前にオタドマリ沼で待機しました。 茶店の方も山が出て来た時に工藤様のいらっしゃる役場へ連絡したそうです。

2時半頃、保育所からこどもたちを乗せた工藤様が運転するバスが到着。  その時のオタドマリ沼の様子がトップの写真に映るその時の風景写真です。

バスから元気よく飛び出るこどもたちをイメージに合わせた形で配置させ、いよいよ思いも叶う瞬間の記録が始められます。

2パターン、記録材料はフィルムとデジタルデーターの両方がある事で、こどもたちには10分くらいはそのままじっとしていてもらう形となりましたが、みんなよくしっかりとやってもらえましてそれぞれの記録がきちっと進められました。

 

記録後、許される時間まであとは自由に遊んでもらえるようにし、たまたまそこの茶店のもう一軒の方ではそのこどもたちの中の一人の保護者のお母さんがいらっしゃって、こどもたちはアイスクリームをごちそうになって大喜びでした。 何もかもみなさんのおかげで見事に今日という日に貴重な記録が出来ました。 この場を使わせていただき感謝の御礼を申し上げます。 ありがとうございました。

 

【敬老会】

工藤様のお誘いで明日8日から利尻富士町の行事の「敬老会」が鬼脇と次の9日の鴛泊の2か所あり、そこでそれぞれの保育所のこどもたちがお祝いの踊りや演技などがあるので、もし何もなければ出席してください・・・といただけたことで、喜んで出席させていただく事に致しました。

_OSD2662s (1)                                                                                                         10月8日(木)鬼脇地区の敬老会式典後の懇親会始まりの乾杯にて

出席した当日に分かった事でしたが、予想をはるかに越えてかなり厳かに式典として執り行われ、その後に懇親会でのお楽しみかと移るもので、町長をはじめ町の主要な方の全員が出席するという大きな行事でありました。 1日目の鬼脇ではジャケットにネクタイ姿で参加してぎりぎり良かった事があったくらいで、次の日の鴛泊の敬老会では前日の思いがありました事でスーツ姿で行くように努めました。 それくらいきちっとしたもので、町長をはじめとする参列の方は挨拶のあとも最後の懇親会の閉会まで帰る事無く皆さんがいらっしゃる最大の町の行事だった事を知りました。 そういう中で呼ばれている私はいったい何なんだろうと、とにかく落ち着かない身の置き所が無い場所での体験でありました。 それでも、懇親会の席では田村祥三町長とはすでに町長室に於いて会談も致していたことで、当日はお酒の席でいろいろと皆さんへ紹介していただいたりご一緒に飲みながらまたお話も出来た事は光栄のなにものでもない嬉しい事でありました。

 

_OSD2729s   10月9日(金)鴛泊地区の敬老会式典「田村祥三町長のお祝いの言葉」にて。

私もこの島に随分といたんだな~と思うくらいご参列の方々の多くは見た事のある方で、その中には小学校、中学校の校長先生、議員の方、教育長、町の主役的な存在の方などが席を並べられていてお酒をついでいただけたり、私もついでまわったりの和やかな時間を思わぬ機会を頂いてここにいることが出来ました。 大変貴重な体験をさせていただきました。  そういう私のその当時の思いの中には、もう一つ「なんで私がここにいるんだろう?!」と思わず笑えてしまう、なんとも不思議な立場での自分がおかしく感じたのを今でも思い出すと笑えてしまうのです。

皆様には本当に限りなくお世話の数々を頂き誠にありがとうございます。

 

 

【島を渡って・・・】

10月12日(月)夕方5時台の便で稚内へ渡った。 長きにわたる島旅もこれにて終える事が出来ました。 礼文島に渡った9月3日からほぼ40日間の島での生活は何とか当初の思いを乗せた計画も無事に終えやっと帰り路への方向でこの後の計画は徐々に進めて行ける事となった。

この後の流れ次の通りの行程にて戻っていく形となりました。

【宗谷地域】

10月13日(火) 稚内市立上勇知小中学校

10月15日(木) 猿払村立浅芽野小学校

【知床地域】

10月16日(金) 斜里町立ウトロ小中学校

【大沼駒ケ岳地域】

10月19日(月) 森町立駒ケ岳小学校

_______________________________________________________

10月19日(月) 函館~青森大間フェリーにて本州へ。

10月21日(水) 神奈川へ帰宅。丸2か月間の「日本最北端の北海道の小中学校のこどもたちに会いに行く!」プロジェクトのテーマ取材はこれにて終了となりました。

 

以上、活動報告を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>