~北の果てのこどもたちに会う~ 利尻島での報告編 ①

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利尻島での学校訪問では、予定日を設定しないままでの異例の状況からはじまるものでした。

それは、礼文島でも過ごして来た背景を生かすように天候が最優先的な記録性の意味合いからが強いために、設定日に必ずしも記録できるお約束が出来ない事が大きな要因あります。 そのため、校長先生との打ち合わせに於いてはこの事情を話した上での叶えられる形をご検討への始まりをお願いし、そこで出来る形を詰めて行く事で実際の記録日を設定させていただく事で可能とするからです。

当然、ここは教育の場であります。どんなに話が進んで行っても最優先されるべき尊重されることとは学校業務に支障があってはならない事は言うまでもありません。 そこは充分な配慮と考慮のいたす場所でありますから、相談へのご検討を図る事では、あくまでも校長先生が決められるままを受け止めて行くという形で進められます。

個々、それぞれのやり取りのお話は省略しますが、実際に動いて行った過程での報告をこの後綴ってまいります。

天候待ちと言うことで、この9月後半以降から10月初旬にかけてはすでに秋の深まる様子の北の果て気候に見舞われ、特に今年は天候不良で荒れる日が続き、かなり晴れを狙うには厳しいスタートを切る覚悟のもと、ここでの記録ではそれ以上に利尻富士の山の頭がきちっと出ている所の条件までが加わる事で、より厳しさが強いられるという条件の中で進まなくてはなりません。 また、9月は平日が極端に少なく、学校での時間も限られている事も大きなものがあります。 さらには、この秋と言う時期的な事で、通常は子供たちとの出会う時間は御休み時間を充てるのですが、小学校は学芸会、中学校は文化祭、そして保育園においてもお遊戯会があり、どこも休み時間ではその練習時間で活動している時期に入っていたので、もう身動きが取れない状況下で進めなくてはならないのです。

そう言う事もあり、実際の記録への行程では、そもそもが長い期間を想定した予定計画をし、稚内へ戻る日程も終わるまでは帰らない・・・を掲げ、その上での実行の面では結果から申し上げると礼文島以上の滞在する日を使わないと難しい事となりました。 おおよそ20日間にわたる時間を利尻島で過ごす事となりました。

 

【学校訪問の開始】

シルバーウイーク中は、それぞれの学校でいつの時間帯が記録する上で意図にかなっているのかを調べるために「ロケハン」を実行し、それぞれ晴れた時の想定で太陽の位置関係を見るために島を一周しながらの学校を見て回りました。

たまたま、このお休み中に学校に来られている事で子供たちをはじめ、先生方と地域の方がお集りの日に出会う事が出来、予期もしない形で記録への第一回目が鬼脇中学校で始まりました。9月23日、新人戦での反省会と共に打ち上げがこの日にあり、皆さんとの時間があった訳です。それをそのまま記録へと進めてみたものでした。 保護者の方となる地域の皆様にも直接お会いでき、私のテーマにより関わりも話も出来て良かったです。 ただ、天気にもう一つのところもあり、後日通常の学校生活の中でもう一度記録に伺う事をお約束にこの日は皆さんで記録をさせていただく事となりました。

連休明けは、思わぬ晴れ間が出てきて、24日からの平日はさっそく利尻富士町の利尻小学校から本格的にはじまりました。晴れ間はとても貴重である事で、この日に同じ町内の鴛泊保育所、そして鬼脇保育所も急きょ保育時間を見ていただいた上で入れていただき、何とか一度に終らせる事が出来ました。

9月25日には23日にお邪魔した鬼脇中学校がテーマ撮影に叶い、昨日今日と2日間連続で晴れ間と利尻富士が出ての記録が出来順調なスタートを切ることが出来ました。

・・・と言うさい先のいいスタートも束の間、次の日からは急変し悪天候が続く事になるのです。

9月30日までまったく記録には動けない日々が強いられ事になります。

 

この間、必要に応じた「挨拶回り」に徹し、各方面での方々にお会いする時間として費やしました。  当然、利尻島には2町の利尻町と利尻富士町があり、ここでの教育委員会への挨拶および教育長との面談はそもそも礼文島にいる間にお約束をしていたため、利尻島に渡った連休明けとなる24日第一日目の朝一番に利尻町の佐々木教育長と面談、そして30日に利尻富士町の石川教育長と面談がありました。

この9月26日よりの10月4日までの天候の良くない事での間では、学校訪問が出来ない時間の中で特にその中でも町長との会談も必要あってお願いをしていたため、10月2日朝8時半から10時まで利尻町町長の保野洋一様と会談、11時より利尻富士町町長の田村祥三様とほぼお昼前までの1時間の会談がこの日に両方の町のお二方にお会いすことが出来ました。

私のホームページでも「お知らせ」のところでご案内していますが、そのお会いする背景には、今回の「利尻礼文」での島の滞在型におけるこのテーマでの関わりでは、いつもとは違った動きの中にある事で、テーマが担える可能性を思う役目を考えた時に将来的な島の形を共に「共有の財産」として考えるもので生まれた話がありました。 それはそもそもがこの「こどもはみらい」を提唱する意味においては非常に深く関わるものがあり、その意味での役目の話があったからです。  また私自身が「地方がしっかりと安心して生涯を暮らせる力を持つ事ではじめて日本と言う国の底辺での力となりその支えをもとに全体の力として日本の国が元気になれる」の思いがあります。 全国各地を実際にこの足で歩いて来た中で見てきた思いからの学んで来た立場で、将来的な日本をたいせつに思う意味で同じ共有心としての思いからであります。

会談内容は、友志会談的な和やかな時間とはいえ、公務である事でもその内容は控えさせていただきますが、どの町長のお話も熱い島への思いがあり、たくさんをお言葉にして語っていただきました。その中で、私の手掛けるテーマでの思いもかみ合い、これからの島への思いに心で語り合えるひとときを得る事ができ充実した時間でした。あっという間の時間でまだまだ話も尽きない形で町長室を後にさせていただきました。貴重なお時間を頂き誠にありがとうございます。

これにて、さらなる島でのこれからを馳せ、このテーマが今後役立てる時を期待する形におかれていく事となります。今後の活動にご期待いただければと思います。

この後、一度、9月30日に鴛泊中学校の記録が出来たのですが、記録の時間にかかった時に曇りとなってしまい、仮の形で後日に再度記録する事で一旦は終えることとしました。 その意味では10月5日の月曜日までは一切の学校訪問が叶わず、26日以降から数えるとほぼ10日間に及ぶ期間がまったく記録が出来ない日々が続く事となりました。

 

10月5日からの学校訪問は次のページからにいたします。

 

 

 

 

 

 

 

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