テーマ作品の映像が全国展開の観光ポスターに起用 2017年7月「礼文島」

この度、子供の大切さ、子供の存在を高めるための作品づくりでの映像が、礼文島の全国配布の観光ポスターとなりました。

 

礼文島観光ポスター

 

大きさ:B1サイズ(縦103センチ×横72.8センチ)

今まで礼文島の風景だけの観光ポスターだったものが、新たに子供を入れた初の観光ポスターが加わりました。 全国配布で礼文島へ来て頂くための重要な観光ポスターとして担う事となりました。

礼文島では今まで自然風景のみの観光資源から、映画「北のカナリアたち」が近年舞台となった事で注目を浴び、礼文島のこの映画内での名称である「麗端小学校岬分校」としてこの地に校舎が立っている設定であります。 主人公は吉永小百合さんがこの分校の先生として赴任するところから始まる物語です。

 

映画完了後には、4年前に町がこの校舎のセットを取得して観光資源へと姿を変えました。

今まで風景だけの礼文島から映画の舞台としての新しい観光地として加わる事が出来ました。 それがこちら「北のカナリアパーク」として観光地になったわけであります。 

 

 

こうした子供をあえて強調する形で「観光ポスター」で起用されるのは他のどこの観光ポスターを見ても初めての試みとも言えよう。

 

今後の礼文島の注目で来島される方が増えてくれる事を期待します。

 

礼文町・礼文島観光協会発行のポストカードに作品映像より起用が決まる。2017年6月

子供の大切さ、子供の尊厳、子供の存在を高めるための作品づくりでの映像が、礼文島の来島記念とする観光ポストカードとなりました。 

礼文島ポストカード

 

 

ポストカードは全国配布の礼文島誘致のための観光ポスターと同一映像のものを使いまして連携を保った形で、礼文島に来た記念で持ち帰るために作られている。

この記事に関する「礼文町」での案内はこちらで↓

http://www.town.rebun.hokkaido.jp/hotnews/detail/00001291.html

 

 

 

 

「“一万の瞳”メッセージ展覧会2017」が礼文島で引き続き開催となりました。

「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」

を発信する

「“一万の瞳”メッセージ展覧会2017」

が今年度も引き続き開催となりました。

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昨年のシーズン期間中開催していました展覧会では、全国からの多くの観光客にこどもへの意識を高めていただくための発信が実現し、好評に引き続き本年度においても開催を致します。

場所:北海道礼文島 「北のカナリアパーク」内

期間:5月1日~10月31日

時間:午前9時より午後5時まで

年中無休 会場無料

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上記の展示模様の写真は昨年度の開催から参考掲載         本年度の展示形態は変わっている場合がございます。

 

新「北のカナリアパーク」2017[1]

 

今年も日本の最北の島からこどものたいせつさを届けます。
みなさん、本年もよろしくお願い致します。

 

レディーフォー「クラウドファンディング」より活動資金への公募を開始しました。

[全国のこどもたちと出会う活動を通して子供の大切さを届けたい!]          ~READYFOR /CROWDFUNDING~

こどもたちと出会うための作品づくりにおける取材費用への公募を開始しました。

~沖縄離島編~

 

 

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READYFOR [全国のこどもたちと出会う活動を通して子供の大切さを届けたい!]  

活動に理解をいただいて応援、協力、支援を公募するためのクラウドファンディング=広くみなさまからの資金調達への公募を開始しました。

https://readyfor.jp/projects/12453    

 

 

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波照間島・与那国島

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ニッポンの最南端・最西端のこどもたちに会いに行きます

みなさまからの熱いご協力とご支援を名の何卒よろしくお願い致します。

このプロジェクトはAll or nothing形式です。5月24日(水)午後11:00までに、200,000円以上集まった場合に成立となります。
不成立の場合はご支援金は全額支援者へ戻ります。

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この度は特異な形でのファンディング形式となりました。すでにこどもたちとの出会う日程が4月24日~28日の現地との学校にてお約束となっていたため確実に訪問への作品づくりが先行となりました。 そのため、ファンディング会社の担当の方と相談の上、先に取材を進めて実際にかかる費用の面を後から補充、補填する形式にて公募をするもので公開するものとしました。 その事では、これから募って成立したら実際に動くと言うものとは違い、すでに現実的に実行がなされ、それに伴ってかかってしまいました費用は確実に発生してしまったものであります事で、各所よりのお借りしていた金額に返済と言う形でこの度のプロジェクトがございます。 思い叶いまして見事成立後にはすべて返済のために充てさせていただきます。何卒みなさまからのご理解のもとご協力ご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

「❝一万の瞳❞メッセージ展覧会2016」が開幕いたしました。

 

 

 

 

 このほど「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」を提唱する「“一万の瞳”メッセージ展覧会’2016」が北海道の礼文島にて始まりました。

ロゴマークをデザインしイベントロゴマークとして設定しました。

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「”一万の瞳”メッセージ展覧会’2016」用のポスターです。

ホームページの「年間計画のスケジュール」のお知らせのように礼文町と礼文島観光協会主催で、にっぽんのてんぺんから全国に向けて、そして世界に向けて「こどもはみらい!」の思いを届けるためにこの6月1日より開催いたしました。 _YNP0195 期間は今シーズン中の10月31日まで開催中となります。 期間中無休で朝の9時より午後5時まで「北のカナリアパーク」の分校校舎内にて発信しております。 ぜひ、最北の島、礼文島にて来てくださいね。 _FJS5594A

会場となる「北のカナリアパーク」の絶景をご覧ください。 開催前の5月の様子から・・・赤い屋根の岬分校校舎があまりにも美しい。 

 

頭から横から足元から・・・全身体のあちこちからこどもたちのメッセージを受けてください。こどもたちの「瞳のシャワー」を浴びて伝える前代未聞の写真による「メッセージ展覧会」です。

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2016年2月6日 衆議院議員 義家弘介文部科学副大臣の「新春の集い」に出席参加をさせていただきました。

2016年2月6日 衆議院議員 義家弘介文部科学副大臣の「新春の集い」

これは私のホームページhttp://norinao.com/のトップに掲げました副大臣との会談について書かせていただいた内容の流れから次にありました事での報告であります。

 「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」

  このテーマでの活動に、副大臣からの強い意志を頂ける「こども=未来へ」への思いを重要と考えていただき、今後将来にわたりまして日本が最も重要となる大切な活動であると副大臣であります義家弘介様自らのご関心とご興味、そしてこれからの担う社会への影響に於いて人々への明るい未来の貢献に繋がるものとして、こうした活動の存在に大きな意義があるという事であります。 文部科学省としても活動に後押しできるようにして行ける事をお言葉を頂き、今後本格的に発信への活動も具体的に進めるものと確認いたしました。

その事で、このたびの「新春の集い」では、副大臣の対外的な正式なご挨拶とお祝いに出席させていただき、新たなスタートを誓う事でありました。

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    当日は予想していたはるかな大勢のみなさまがご出席があり、その大きさと勢いなる盛況に驚くばかりでした。 衆参の議員さんをはじめ、神奈川県の各市町村の首長や多くの議員さん、財界人、主要のお客様の大勢で会場は埋め尽くされるものでありました。 その一部の模様を私が前に詰め寄りまして厳かに記録したものがありますのでご覧ください。

 

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  副大臣として特に日本の教育改革に力をすすぎこむ強い思いを述べられました。 この思いは義家さんならではの持っている意思は国の期待の人ととして大きな責任を任されました。 こうした思いがあるからこそ「こどもはみらい!」の思いに目を向けてくださり、本テーマが大切だとご理解を頂けたものとあらためて確認するものでした。

 

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かつてのアイドルの

「三原じゅんこ」なる今は参議院議員の「三原じゅん子」さんが登場!

 会場に華やかさが広がる。さすが元女優の三原じゅん子参議院議員。とてもきれいで素敵な方ですね。 ますますその美しさが出てきていると目の前でいらっしゃるお姿を拝見し感じました。 こちらもその時の一コマです。

_HGI0251 この日来賓としてご挨拶をしているところです。

みなさまへ!

これからどうぞ「こどもがたいせつ…こどもが宝…こどもはみらい!」の活動を、みなさまからのご支援、ご協力と応援のほどをよろしくお願い申し上げます。

これから私はこのために全力を尽くす行動へと進んで行きます。

 

 

 

 

 

 

利尻島オタドマリ沼での「こどもはみらい!」イメージ映像そして敬老会

宗谷地域_OSD2512s10月7日(水)オタドマリ沼にて~この直後「こどもがたいせつ・・・こどもが宝・・・こどもはみらい!」のイメージ記録へと進んだ。

予定していたすべての学校および保育所のこどもたちとのテーマによる訪問記録は無事に終え、10月の7日以降は12日の稚内への船で渡る日までは私の自由時間となった。

週明けの5日より晴れ続きが珍しくある事で7日は実質記録への方法もなくなったのであるが、一つ頭の中で抱えていた案件があり、「こどもがたいせつ・・・こどもが宝・・・こどもはみらい!」のテーマであるイメージフォトが欲しく各保育所にその思いを伝えていた事がありました。ただ、この時期文化祭となる秋の行事の中では、保育園は「お遊戯会」への練習で忙しく動かれていることで、個々の保育所ではいつもの記録は叶うものの、イメージとする保育所合同によるある場所に於いての出張での記録はなかなか厳しい所があり、見送る形で2町4保育所ある中で今回はしないと言う事でおさまっていました。 いわゆる最後の晴れ間の日としての私が滞在する上での事では、今日の1日が何かに役立てる日として出来ないかを考えた時に利尻富士町になるのですが、朝の段階で保育所を管理しています福祉課の工藤様に直接話に伺い、「鬼脇保育所においては行事が済んでいる事で鬼脇だけでも今日の日にイメージ記録が出来たらと考えていますがいかがでしょうか?」と尋ねたところ、工藤様がぜひやりましょうの一声でいっきに動く始める事となった予期もしない速さで進む事になったのです。

 

【オタドマリ沼】

役場よりバスを出して工藤様自ら運転して鬼脇まで25分の道のりを移動し始めました。 保育所には事前に午前中オタドマリ沼でこどもたち移動させて記録写真を撮る事を伝えていただき、まずは鬼脇の保育所から2キロほど離れたオタドマリ沼を目指して現地に向かいました。 とても晴れ渡っているのだけれども、肝心の利尻富士の山のてっぺんにずっと雲がかかったままで進む道筋で気にしながらものです。 いつも反対側に近くなると雲がなかったりもするので期待も半分しながらの行程でしたが、なかなか取れる様子がないままを右に見ながらオタドマリ沼に到着。双方の車を止めて山をあらためて見上げてみる顔にはくもらせる表情ばかりでまったくどいて行く様子もない。 「困ったな~」が言葉を交わさずともお互いにわかる言葉だった。 茶店の方も工藤様の姿を見つけて挨拶に来られ、事情を話すと気の毒な思いをかけてくださり、結局はここを離れ保育所へ一旦移動へ。「今日は難しい」と告げ、とりあえず近くの利尻資料館は建物としてすばらしいかつての鬼脇役場の建物があり、そこでこどもたちを撮る事を提案。すぐさま移動し記録へと進んだ。 工藤様はここで役場に戻るのだけれども昼過ぎに議会が30分あり、その後はまた鬼脇に3時には明日の敬老会の準備に来る用事があるとのことで、万が一に午後から利尻富士が頭を出していたら可能ですか?と尋ねると、「敬老会の準備もあるけれどそのための記録での時間で使う事は大丈夫ですよ」とおっしゃっていただけたことで、午後へ期待を移す事となった訳です。

 

お昼の12時過ぎ、その頃からどんどん頭の雲が取れ始めてくるではありませんか。 もしその時には工藤様の携帯電話へ連絡を入れる事となっていたため、30分さらに様子を見て確認後、今日は完全に大丈夫そうだと言える事となって来たので「行けそうです」とお伝えさせていただきました。 2時過ぎにはオタドマリ沼へこどもを乗せて来るとの連絡があり、私はその時間前にオタドマリ沼で待機しました。 茶店の方も山が出て来た時に工藤様のいらっしゃる役場へ連絡したそうです。

2時半頃、保育所からこどもたちを乗せた工藤様が運転するバスが到着。  その時のオタドマリ沼の様子がトップの写真に映るその時の風景写真です。

バスから元気よく飛び出るこどもたちをイメージに合わせた形で配置させ、いよいよ思いも叶う瞬間の記録が始められます。

2パターン、記録材料はフィルムとデジタルデーターの両方がある事で、こどもたちには10分くらいはそのままじっとしていてもらう形となりましたが、みんなよくしっかりとやってもらえましてそれぞれの記録がきちっと進められました。

 

記録後、許される時間まであとは自由に遊んでもらえるようにし、たまたまそこの茶店のもう一軒の方ではそのこどもたちの中の一人の保護者のお母さんがいらっしゃって、こどもたちはアイスクリームをごちそうになって大喜びでした。 何もかもみなさんのおかげで見事に今日という日に貴重な記録が出来ました。 この場を使わせていただき感謝の御礼を申し上げます。 ありがとうございました。

 

【敬老会】

工藤様のお誘いで明日8日から利尻富士町の行事の「敬老会」が鬼脇と次の9日の鴛泊の2か所あり、そこでそれぞれの保育所のこどもたちがお祝いの踊りや演技などがあるので、もし何もなければ出席してください・・・といただけたことで、喜んで出席させていただく事に致しました。

_OSD2662s (1)                                                                                                         10月8日(木)鬼脇地区の敬老会式典後の懇親会始まりの乾杯にて

出席した当日に分かった事でしたが、予想をはるかに越えてかなり厳かに式典として執り行われ、その後に懇親会でのお楽しみかと移るもので、町長をはじめ町の主要な方の全員が出席するという大きな行事でありました。 1日目の鬼脇ではジャケットにネクタイ姿で参加してぎりぎり良かった事があったくらいで、次の日の鴛泊の敬老会では前日の思いがありました事でスーツ姿で行くように努めました。 それくらいきちっとしたもので、町長をはじめとする参列の方は挨拶のあとも最後の懇親会の閉会まで帰る事無く皆さんがいらっしゃる最大の町の行事だった事を知りました。 そういう中で呼ばれている私はいったい何なんだろうと、とにかく落ち着かない身の置き所が無い場所での体験でありました。 それでも、懇親会の席では田村祥三町長とはすでに町長室に於いて会談も致していたことで、当日はお酒の席でいろいろと皆さんへ紹介していただいたりご一緒に飲みながらまたお話も出来た事は光栄のなにものでもない嬉しい事でありました。

 

_OSD2729s   10月9日(金)鴛泊地区の敬老会式典「田村祥三町長のお祝いの言葉」にて。

私もこの島に随分といたんだな~と思うくらいご参列の方々の多くは見た事のある方で、その中には小学校、中学校の校長先生、議員の方、教育長、町の主役的な存在の方などが席を並べられていてお酒をついでいただけたり、私もついでまわったりの和やかな時間を思わぬ機会を頂いてここにいることが出来ました。 大変貴重な体験をさせていただきました。  そういう私のその当時の思いの中には、もう一つ「なんで私がここにいるんだろう?!」と思わず笑えてしまう、なんとも不思議な立場での自分がおかしく感じたのを今でも思い出すと笑えてしまうのです。

皆様には本当に限りなくお世話の数々を頂き誠にありがとうございます。

 

 

【島を渡って・・・】

10月12日(月)夕方5時台の便で稚内へ渡った。 長きにわたる島旅もこれにて終える事が出来ました。 礼文島に渡った9月3日からほぼ40日間の島での生活は何とか当初の思いを乗せた計画も無事に終えやっと帰り路への方向でこの後の計画は徐々に進めて行ける事となった。

この後の流れ次の通りの行程にて戻っていく形となりました。

【宗谷地域】

10月13日(火) 稚内市立上勇知小中学校

10月15日(木) 猿払村立浅芽野小学校

【知床地域】

10月16日(金) 斜里町立ウトロ小中学校

【大沼駒ケ岳地域】

10月19日(月) 森町立駒ケ岳小学校

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10月19日(月) 函館~青森大間フェリーにて本州へ。

10月21日(水) 神奈川へ帰宅。丸2か月間の「日本最北端の北海道の小中学校のこどもたちに会いに行く!」プロジェクトのテーマ取材はこれにて終了となりました。

 

以上、活動報告を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~北の果てのこどもたちに会う~ 利尻島での報告編 ②

10月2日の夜から3日の未明にかけて、利尻島ではかつてないと言われるほどの爆弾低気圧がやって来て、強風にあおられ続けて島の機能が完全に途絶えてしまった。

43メートルとも言われる海岸沿いに暮らす島の生活では爆弾低気圧の強風直撃による家の倒壊、ながく強風にさらされて屋根のトタンや外壁が飛んでの被害が続出。基幹道路もそれらがふさいで通行止め、波による道路の決壊などが起こる。おまけに停電がそれに追いかさなり島の機能は全く動けない状況が続いた。 この時の私は風の最も激しい沓形方面でいた事で、日々車の中でのキャンプ生活ですからとにかく横っ腹を風向きに向けないようずっと車を前向き前向きに修正する事に強いられ、それでもグラグラ揺らされ恐怖の時間だった。朝方まで眠る状態ではなく、明るくなると同時に風の影響が少ない鴛泊側に移動始める事にしたのだけど、先の話のように基幹道路が倒壊の家でふさがれて何とか裏道があっての移動が叶い抜ける事が出来ました。 道のあちこちでトタンや木の破片が散乱してどこの家も何かしら壊れている。 風の影響が少しでも無いとされる反対側でもかなり吹くのでとにかく3日の一日はほぼおさまるのに時間がかかった。 停電である事では、お店も閉まったまま。おまけに船も欠航が続いたため食材なども途絶えてまさにすべての機能が失った状態が5日まで及んだ形になる。

学校訪問では、何とか週明けの5日には通常通り始まった事で、当初より指定日として決められていた利尻富士町の鴛泊小学校の朝一番の8時台での記録が予定通り行われる事となり、心配されていた天候の晴れ間の状態が台風一過のように晴れ渡る日になった。 みんなお休みの子も居なくお友達同士顔合わせと共に元気いっぱいテーマ記録が成された。 今日の晴れは10日ぶりとなる今まで学校訪問が止められていた状態からの解放である意味では、一気にこなしていきたい貴重な晴れ間となる。 同じく、5日はお隣の町、利尻町の沓形小学校でもお昼の時間にそもそも先週から約束としていたため、先ずは決行の連絡を入れると共に、天候待ちで居る各学校に問い合わせてみて、今日が可能な時間を検討していただく事に集中した。 その結果、利尻町の仙法志中学校が計画では放課後の3時半が希望していたことで他と重なる時間帯でない事ではこの日に入れる事が出来るためにお願いをしてみたら、大丈夫だと言うご返答を頂き本日決行の予定を入れていただく事になりました。 あとは利尻富士がその時に顔を出しているかにかかっているだけであります。 もう一つ、同じ地域の仙法志保育所においても利尻富士が出ている時にが計画にあったことで、この日に何とかお昼寝後に入れていただけるかの相談でOKがとれた事で2時半に訪問へ。 

その結果、10月5日は、

朝8時半に 利尻富士町立鴛泊小学校

11時に 利尻町立沓形保育所

お昼休みの1時過ぎに 利尻町立沓形小学校

2時から3時前に 利尻町立仙法志保育所

そして、放課後の3時半に 利尻町立仙法志中学校

前代未聞の1日で5か所の訪問を一気にこなした異例中の異例の形で、今までの20年間の学校訪問では在り得ない計画となった。  とにかく晴れ間と利尻富士が見える条件が叶う日はその日の貴重な一日として少しでもほかの日に充てようならば可能性への機会が消える事を最大限に優先させていただき、学校の都合に支障が出たり、無理な強いる事がない限りにはこの事で優先していただけたのであります。

10月6日。この日も昨日に引き続き晴れ渡った。 かねてより晴れ待ちの利尻富士町の鴛泊中学校では、一度9月30日にトライしてみたが晴れ間から曇る状況となりあらためて次回の日が求められていた事でこの日に前日から予定を検討していただいていた。 当日晴れた事でさっそく朝の段階で連絡をし11時のお休み時間に予定を入れていただけた。

10月6日 利尻富士町立鴛泊中学校

この日を最後に、利尻島におけるこのたびの訪問可能になった学校と保育所を含むすべての訪問記録へのご了承を頂いていた所は予定通りに終える事が出来ました。

この後は、12日の船の便を予約する事となり、7日以降からはひとまず自由時間として滞在することとしました。 その間はまずはお世話になりました多くの方々に挨拶をさせていただく日として充てさせていただく事にしています。

予報では、なにやら8日より大型台風が利尻島をはじめ礼文、宗谷管内が標的となる話が出てきており、この後の動きにかなり慎重になっているところでした。 案の定7日までは晴れ間が続きましたが、8日に入ると一変し、また島を襲う悲劇が始まります。 船の欠航、そしてこの方面の学校のすべてが休校に追いやられる週末が始まったのです。

 

7日のオタドマリ沼にての「こどもはみらい!」へのイメージ記録の話と、町の需要な行事である「敬老会」への参加について次のページにてエピソードとしてご紹介いたします。

 

 

 

 

~北の果てのこどもたちに会う~ 利尻島での報告編 ①

利尻島での学校訪問では、予定日を設定しないままでの異例の状況からはじまるものでした。

それは、礼文島でも過ごして来た背景を生かすように天候が最優先的な記録性の意味合いからが強いために、設定日に必ずしも記録できるお約束が出来ない事が大きな要因あります。 そのため、校長先生との打ち合わせに於いてはこの事情を話した上での叶えられる形をご検討への始まりをお願いし、そこで出来る形を詰めて行く事で実際の記録日を設定させていただく事で可能とするからです。

当然、ここは教育の場であります。どんなに話が進んで行っても最優先されるべき尊重されることとは学校業務に支障があってはならない事は言うまでもありません。 そこは充分な配慮と考慮のいたす場所でありますから、相談へのご検討を図る事では、あくまでも校長先生が決められるままを受け止めて行くという形で進められます。

個々、それぞれのやり取りのお話は省略しますが、実際に動いて行った過程での報告をこの後綴ってまいります。

天候待ちと言うことで、この9月後半以降から10月初旬にかけてはすでに秋の深まる様子の北の果て気候に見舞われ、特に今年は天候不良で荒れる日が続き、かなり晴れを狙うには厳しいスタートを切る覚悟のもと、ここでの記録ではそれ以上に利尻富士の山の頭がきちっと出ている所の条件までが加わる事で、より厳しさが強いられるという条件の中で進まなくてはなりません。 また、9月は平日が極端に少なく、学校での時間も限られている事も大きなものがあります。 さらには、この秋と言う時期的な事で、通常は子供たちとの出会う時間は御休み時間を充てるのですが、小学校は学芸会、中学校は文化祭、そして保育園においてもお遊戯会があり、どこも休み時間ではその練習時間で活動している時期に入っていたので、もう身動きが取れない状況下で進めなくてはならないのです。

そう言う事もあり、実際の記録への行程では、そもそもが長い期間を想定した予定計画をし、稚内へ戻る日程も終わるまでは帰らない・・・を掲げ、その上での実行の面では結果から申し上げると礼文島以上の滞在する日を使わないと難しい事となりました。 おおよそ20日間にわたる時間を利尻島で過ごす事となりました。

 

【学校訪問の開始】

シルバーウイーク中は、それぞれの学校でいつの時間帯が記録する上で意図にかなっているのかを調べるために「ロケハン」を実行し、それぞれ晴れた時の想定で太陽の位置関係を見るために島を一周しながらの学校を見て回りました。

たまたま、このお休み中に学校に来られている事で子供たちをはじめ、先生方と地域の方がお集りの日に出会う事が出来、予期もしない形で記録への第一回目が鬼脇中学校で始まりました。9月23日、新人戦での反省会と共に打ち上げがこの日にあり、皆さんとの時間があった訳です。それをそのまま記録へと進めてみたものでした。 保護者の方となる地域の皆様にも直接お会いでき、私のテーマにより関わりも話も出来て良かったです。 ただ、天気にもう一つのところもあり、後日通常の学校生活の中でもう一度記録に伺う事をお約束にこの日は皆さんで記録をさせていただく事となりました。

連休明けは、思わぬ晴れ間が出てきて、24日からの平日はさっそく利尻富士町の利尻小学校から本格的にはじまりました。晴れ間はとても貴重である事で、この日に同じ町内の鴛泊保育所、そして鬼脇保育所も急きょ保育時間を見ていただいた上で入れていただき、何とか一度に終らせる事が出来ました。

9月25日には23日にお邪魔した鬼脇中学校がテーマ撮影に叶い、昨日今日と2日間連続で晴れ間と利尻富士が出ての記録が出来順調なスタートを切ることが出来ました。

・・・と言うさい先のいいスタートも束の間、次の日からは急変し悪天候が続く事になるのです。

9月30日までまったく記録には動けない日々が強いられ事になります。

 

この間、必要に応じた「挨拶回り」に徹し、各方面での方々にお会いする時間として費やしました。  当然、利尻島には2町の利尻町と利尻富士町があり、ここでの教育委員会への挨拶および教育長との面談はそもそも礼文島にいる間にお約束をしていたため、利尻島に渡った連休明けとなる24日第一日目の朝一番に利尻町の佐々木教育長と面談、そして30日に利尻富士町の石川教育長と面談がありました。

この9月26日よりの10月4日までの天候の良くない事での間では、学校訪問が出来ない時間の中で特にその中でも町長との会談も必要あってお願いをしていたため、10月2日朝8時半から10時まで利尻町町長の保野洋一様と会談、11時より利尻富士町町長の田村祥三様とほぼお昼前までの1時間の会談がこの日に両方の町のお二方にお会いすことが出来ました。

私のホームページでも「お知らせ」のところでご案内していますが、そのお会いする背景には、今回の「利尻礼文」での島の滞在型におけるこのテーマでの関わりでは、いつもとは違った動きの中にある事で、テーマが担える可能性を思う役目を考えた時に将来的な島の形を共に「共有の財産」として考えるもので生まれた話がありました。 それはそもそもがこの「こどもはみらい」を提唱する意味においては非常に深く関わるものがあり、その意味での役目の話があったからです。  また私自身が「地方がしっかりと安心して生涯を暮らせる力を持つ事ではじめて日本と言う国の底辺での力となりその支えをもとに全体の力として日本の国が元気になれる」の思いがあります。 全国各地を実際にこの足で歩いて来た中で見てきた思いからの学んで来た立場で、将来的な日本をたいせつに思う意味で同じ共有心としての思いからであります。

会談内容は、友志会談的な和やかな時間とはいえ、公務である事でもその内容は控えさせていただきますが、どの町長のお話も熱い島への思いがあり、たくさんをお言葉にして語っていただきました。その中で、私の手掛けるテーマでの思いもかみ合い、これからの島への思いに心で語り合えるひとときを得る事ができ充実した時間でした。あっという間の時間でまだまだ話も尽きない形で町長室を後にさせていただきました。貴重なお時間を頂き誠にありがとうございます。

これにて、さらなる島でのこれからを馳せ、このテーマが今後役立てる時を期待する形におかれていく事となります。今後の活動にご期待いただければと思います。

この後、一度、9月30日に鴛泊中学校の記録が出来たのですが、記録の時間にかかった時に曇りとなってしまい、仮の形で後日に再度記録する事で一旦は終えることとしました。 その意味では10月5日の月曜日までは一切の学校訪問が叶わず、26日以降から数えるとほぼ10日間に及ぶ期間がまったく記録が出来ない日々が続く事となりました。

 

10月5日からの学校訪問は次のページからにいたします。

 

 

 

 

 

 

 

縁が縁を呼ぶ…「利尻 島の駅 – NPO法人利尻ふる里・島づくりセンター」からはじまる大きな一歩。

礼文島から、確実に利尻島に渡れる日が決まった時点で、具体的な話として“島旅”で一番核となってお世話になっている熊谷様に電話を入れました。

「20日の13時の船で利尻に渡ります。」

利尻島は2町があり、先ずは利尻町に関してはどなたも知り合いもなく、その事でもそもそもこの「利尻礼文での学校訪問活動でこどもたちに会う」の計画でお世話になっていました利尻富士町の熊谷様に再度また利尻町での紹介していただける方を頂き、まずは渡った当日にその方からお会いする事となるものでした。

その方とは、利尻町役場にいらっしゃる佐藤様とのお約束で、待ち合わせは利尻町の「島の駅」です。ここは、利尻島の魅力を伝えるための場所としてつくられた場所で、いわば2町を越えて利尻島を良くするための活動としてNPO法人が出来ており、そのNPOが運営する場所が「島の駅」だったのです。 実は佐藤様も役場のお仕事をする中で、もう一つの利尻を思う活動員としての役員であったのでした。

利尻 島の駅 – NPO法人利尻ふる里・島づくりセンター

に到着してさっそくお会いするやいなや、この「島の駅」となる場所自体がかつての利尻昆布の中心となって営んでいた「渡辺商店」の100年以上の建物を有効利用して活躍させているもので、中をいろいろと案内していただきながらご挨拶をも兼ねての出会いでありました。 その時の案内役を頂いたのが、佐藤様とご一緒に同行していただいていた大関様で、千葉から「地域おこし協力隊」の一員としてここに配属されて来ていた訳でありました。この後いろいろとお世話になる方であります。

案内も一通り終えてゆっくりと席に座りながらあらためての挨拶の中で、私のこのたびの島に来た事への主旨を話し、その事では思わぬ賛同もいただくご縁が生れて、単にしばらくお世話になるという挨拶だけにとどまらずこれからの利尻島で何かができないかの思いまで発展するところまで一気に上り詰め、新たな縁のもと私の持つこの「こどもはみらい」の思いに皆さんが強い関心を示していただく事となりました。

この席で、こちらの代表となる理事長の小坂様とお会いする機会が生れ、その事で一気にこのテーマである「こどもはみらい」からはじまる利尻島での可能性とコラボする思いが盛り上がり、ついには小坂様のご自宅に移動してでの皆様との懇親会までに発展するに至る事となっていくのでした。

実は、佐藤様とお会いするために「島の駅」に来た訳でしたが、このあと3時以降から本来のお会いするべく一番の島旅において核となってお世話いただいてきた利尻富士町の熊谷様とお約束をしていた訳であります。しかしながら、島の駅での話の盛り上がりは尽きず、時間内は到底終えられるものではなく、その勢いはますますと言うなかでの事では、ついに熊谷様に利尻町の「島の駅」へ来ていただくように連絡をし、一緒に利尻島の事で話をしましょう!の話となり、実際に理事長の小坂様のご自宅での懇親会を兼ねた構想を話し合える場に来ていただく事となりました。

なんとも、そこでお初の顔合わせとなったものでした。この後に始まる利尻島での活動は何においてもこの出会いの時間は大きな一歩を踏み出す事となる「縁」が生れたのです。

 

 

活動報告は次のページより始めます。